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理想を実現させることを夢見ていた。


 1983年。本田技術研究所和光研究所ではHondaの開発スタッフとともに田中精密工業若手技術者(ゲストエンジニア)が、当時まだ机上の空論だったVTEC機構について研究開発に取り組んでいました。
 「NAエンジンでリッター100馬力以上、同時に低燃費をも可能にしたい。」
そのための方法として、低速と高速でエンジンバルブの開く量とタイミングを切り換えることが重要であると議論しました。通常のエンジンバルブは与えられた一つの動きしかしないものであり、馬力のある自動車の燃費は悪いということは常識でした。
 燃料の噴射量を多くすればピストンを動かすパワーは大きくなりますが、ロスする割合も多く、ガソリンを大量に消費してしまうからです。
 それなら高精度な可変バルブを組み込むことができれば、これまでにないスペックのエンジンが実現するはず。そこで、エンジンの回転数に反応する正確無比な可変バルブは、VTEC機構を実現するために無くてはならない精密部品として位置づけられました。ただし、新エンジンを作るためには製造コストや部品精度を度外視するという条件も同時に付いてきました。
 つまりVTEC機構は、とうてい当時の量産車に搭載できないと考えられていたのです。
 夢という言葉は、不可能だから魅力的なのかもしれません。しかし不可能だからこそ、挑戦する勇気が生まれる。それが夢という言葉だけが持つ重みでしょう。
 開発・技術・品質・コストなどの条件をクリアすることで夢に近づくことができるのなら、どんな苦労もいとわない。夢は夢のまま終わらせるべきではない。そう考えたのはHonda側のスタッフだけではありません。VTEC開発計画に加わったゲストエンジニアたちも、図面設計や加工方法などの分析を繰り返しながら、VTECエンジンの輪郭を徐々に形成していきました。
 「これまでもHonda車の精密部品を製造し、量産し、供給してきたが、VTEC機構の要であるロッカーアームアッシーを、はたして田中精密は作ることができるのか。ましてや量産ともなると、本当にサブミクロンの品質を保証できるのだろうか。」
 ゲストエンジニアは頭に浮かぶ不安を払拭し、まず試作品の製造を田中精密工業・開発部門に要請しました。

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